芸術家の人生

今回のイタリア行きは心身ともに
相当しんどかったけど

でも辛いとかうまくいかないのは
ネガティブで自分だけがうまく
いっていない、一人だけ仲間はずれで
ダメな人というわけでは
必ずしもないわけで(船の上で
ラブラブなカップルや仲良し家族を
見るたびにいいなぁ・・・と思うけど)

私はヴィヴァルディを聴きながら
あぁ芸術家とはそういうものなのだ。

その人に悲しみや深い痛みや
苦しみがなかったら

どうしてここまで深く人の心を打つ
音楽になりえるだろうか?

と真底思った。

私の2冊目の本は
大きく心を揺さぶられたり
うなづきすぎて首がおかしくなりそうだと
言われることが多々ある。

それは私が辛い経験をして
それをもとにあの本を書いたからだ。

私は一人でも自分の本を読んで
泣いてくれる人がいたらいいと思った。

そしてそういう文章や音楽は
作者の痛みや悲痛な心の叫びがあるからこそ
人の心を打つものなのだ。

私は人生が順風満帆にいっている人が
真底羨ましかったけど
私だって好き好んでたった一人で
ビーチに行ったり遊覧船に
乗ったりしたいわけじゃないのだけれど

でも芸術家の人生が
順風満帆ではダメなんだ。

なぜならそんな人が書いたものや
奏でる曲は、こんな風にものすごく
人の心を打つまでには至らず、
上手に弾いてる、でもそれでおしまいに
なるからだ。

そうか
私は芸術家だったのだ。

Googleには作家って書いてあるし

私は書くことを手段にした芸術家であり
痛みや苦しさは単に私個人のものではなくて
まだ見ぬ誰かの心を打つかもしれない
つまり代弁している経験なのだ。

「美樹ちゃんはね
今、取材してるとこなのよ」

と私が本当に辛かった時に
京都の喫茶店、ゴゴのママが言った。

密着取材をしてるってこと?
団地の主婦の間に入って?
そう思うと少しだけ気が楽になった。

どうしてあの時そんなこと
言ったんですか?と先日聞いたら

「アナタはね
書く人だと思ってたのよ」

と預言者のようにママは言った。

今日は最高に素晴らしかった
ヴィヴァルディの四季の後、
私が死にそうなくらい凹んで
辛い時にだけ聞く曲まで演奏されて
私は1秒聞いた瞬間にあれだ!!とわかり
その悲痛すぎる音楽は
何一つ言葉なんて言ってないのに
あまりにも私の胸を打つ。

でもね

この曲のおかげで

私本当に救われてきたんです。

本当に
本当にありがとう。

一番辛い時しか聞かないけれど
それでもこの曲があったから
きっとなんとか生きてこれた。

今日その曲が流れたことも
きっと奇跡なのだろう。

そうだ
神様

私の辛い経験は
あとに続く誰かの代弁なのだ。

それをいつか書かせるために
しかも日本語で書かせるために
神様は私に辛い経験をさせているのだ

いつか誰かの胸を打つために。

そう思ったら
そんな風に思えてきた。

芸術家の人生が
順風満帆であったなら

その人の作品はたいして人の心を
打たないだろう。彼らの人生が
波瀾万丈なのは
彼らなりの宿命なのだ。

だから

彼らの人生が映画になるのかもしれない。

【3大特典付き 無料メールニュース登録はこちらから】

おすすめ記事

@cafe_tea_culture