パリ政治学院の苦い思い出

昨日はサン=ジェルマンデプレまで
行ったので、思いついたけど
一度やめようと思ったものの、
意を決して留学時代の母校、パリ政治学院
Sciences-Poへと足を伸ばす。

この学校は知る人ぞ知る国際政治の
エリート養成学校で、もちろん
フランスで知らない人はいないけど
国際社会だと国際政治や官僚系に
興味がある人なら知っている
うわっシアンスポー!という学校だ。

日本では本当に一部の人しか知らないため
私はほぼ何も知らず
サイエンスの学校なのかしら程度の
認識で書いたら第二希望で受かってしまい
当時まさに外交の世界を視野に入れていた
友達に相談したが最後、絶対行きなよ!!
と言われてしまった(多分他の日本人の
友人はこの学校を知らなかったのでは)

そして地獄の日々が始まって
私はほとんど鬱になり
最後には『パリ症候群』の著書で
有名な精神科医の先生にお世話になって
早く日本に帰りなさい!とまで
言われてしまった。

この学校は精神を病む人が続出する
ことでも知られるスパルタ!!な
学校で、校内では外国人同士であっても
アメリカ人ネイティブ同士でも
ない限り絶対フランス語会話!という
暗黙の了解があり、ついてすぐに
ABC順みたいに振られる
学校名物の「エクスポゼ」は
与えられたひとつの課題に対して
本を7冊は読んで調べ、30分間一人で
聴衆の眼をみて話すというものだった。

たしか私
ここでクルーグマン教授の経済学の本に
お世話になってた気がする。
(私は商学部出身で国際政治の
せの字も知らずに飛び込んだ😣)

パリに来たのに遊びはお終い!
24時間図書館で過ごしなさい!!!
という学校の中で次第に何を
しに来たのかわからなくなり
(私はただパリに留学したかっただけなのに)

どう考えても太刀打ちできない
圧倒的な知的レベルの留学生や
あまりに厳しく冷徹なフランス流の
外交のものの見方に
頭の中がまだお花畑で
世界は変えられると証拠もないのに
呑気に信じた民主党を無邪気に信じる
若者たちの多かった
日本からやって来た私は
立ち直れないほどショックを受けた。

まさに価値観が
ガラガラガラと
音尾立てて崩れていくのがよくわかり

多分
立て直すのに
20年かかったのだろう。

だから昨日やっとの思いで
そこを通れた。あれから20年
パリはほぼ毎年着ていたというのに
私には怖すぎて勇気が出なかった。

でもね

あの経験者が私を変えて

人生で一番辛かったけど

人生で一番濃くて自分を変えた
一年であり、あれがなければ
今の自分は絶対なかった。

それくらい
本当に
本当に
悔しかったんだろうなぁ。。。
この20年はただそれをどうにかしたい
気持ちの連続だった。

サバルタンは語りうるのか?
弱者は声を持ちうるのか?
立場の低い人が語るには
聞かれるために相手の論理に立って
時には語学すら身につける必要があると
私は本の序章で書いたけど
それは私自身の経験からだ。

私は相変わらずEUの官僚にも
なれないけれど、ついにGoogle検索では
「作家」と表示されるようになった。

ちなみにパリ政治学院から
一番近いカフェのひとつが
カフェドフロールにドゥマゴであり
ソニアリキエルやイブサンローランに
囲まれた学校で、在学中には
ゴルバチョフがやって来た🤯

大変だったけど

あそこで学んでよかったなぁ。。。

お父さん
留学させてくれてありがとう。

by Miki IIDA

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