今回のイタリアの旅は精神的にも肉体的にも
だいぶ辛いことが多く、特にコモ湖は
初めてで何をしに来たのか
自分でも分からなかった書いたともあって
真っ暗な宿で随分泣いてしまった。
異国でたった一人で
暗闇の中で泣くというのは本当に
恐ろしい経験で
私は自分が壊れそうで怖くてたまらず
必死になって神様に救いを求めた。
私
もう死んでしまうのかな。
遺書だと思って書いた本は
実際に出版されてしまったし
それなりに頑張って育てた息子は
彼女を見つけてもうママなんて
全然必要なさそうだし
もはや生きる理由もないではないか?
それに私こんなにも弱いなら
ヨーロッパに一人で住むなんて無理だ
と痛感してしまった昨日の夜。
昨晩はものすごく気分が悪かったから
もうミラノから日本に帰ろうかとも
思ったけれど
実際には予定を変更する方がしんどいし
そもそもこんな状態で15時間も
飛行機に乗れる自信がない。
仕方ないので予定通りヴェネツィアに行き
とりあえずサン・マルコ広場を
見た後は、私が一番好きな教会に
行きたくて、どこからも遠いけど
船に乗って目指して行った。
ここはヴェネツィアで一番神様に
近い場所・・・
と入ってすぐに思って鳥肌が
たちそうになりながら
大好きな場所に近づきたくて
私は前から2列目の席に座った。
そこまでは
よくあることだったのだけど。
そのほんの数分後くらいに
教会の人たちがやって来て
壇上で何やらしていると
私以外の全員が立ち上がり
えっ
このポツポツ座っている人たちは
観光客じゃなくて
ミサに来た信者だったの?🤯
と気がついた。
ここはヴェネツィアでもトップに
有名な教会で、入場料も取るくらいだから
観光客もいるはずなのだけれど
見渡す限り
場違いなのは私だけ。
完全にその場はミサであり
でも私もここにお祈りしたくて
日本からわざわざ来たんです
来て2分で出て行くわけには・・・
と思っていると
特にお前はダメだと言われて
追い出されるわけでもなく
私も必死に真似して立ったり
座ったりを繰り返す。
今回の滞在中では教会に行くと
幸運なことにミサが始まったり
讃美歌が歌われたり
パイプオルガンの大演奏が
始まったりした私だけれど
(これ普通ありえないです)
それでもミサなんて
最後尾でこっそり見るだけなのに
今日は私が最前列🤯
しかも有名な教会なのに
15人以下しかおらず
明らかに私だけ場違いだけど
みなさんは最後まで私を追い出しもせず
なんとキリストの血肉である
パンを分かち合う儀式まで始まってしまい
私も行っていいのだろうか??
せめて最後にチャンスがあれば
私だけダメとか嫌だなぁ・・・
と思っていたら
聖書を壇上で読んでいた女性が
招いて下さり
私もパンをいただいた。
こんなミサに外国で参加したのなんて
従姉妹を訪れてアメリカの教会で
はじめてパンを食べた中学生以来のことだ。
しかもどこ通りすがりの教会でもなく
私が世界で一番好きで携帯の
待受画面にまでしている大事な教会で!
本当に神様っているんだな。
神様、本当にいるなら
私にも印を見せてくださいと
私はコモで何度も祈り
必死で助けてくださいと祈っていた。
今日は奇跡が起こると思っていたら
本当に奇跡が起こった。
私この教会、何度も来てるけど
ミサがやっているなんて初めてだし
たまたま行った教会で
ミサが行われているなんてこと自体
普通は簡単に起こらない。
私
導かれているんだなぁ・・・
あと15分
遅かったり早かったりしていたら
こんなことは起こらなかった。
私が最前列で参加したのは
たまたまそこに座っていて
目立つから余計に
席を立ちにくかったからだ。
7年くらい前にこの教会に初めて
行ってから、私はだいぶ変化して
欧米人に負けないぞ!
英語が喋れるようになってやる!
とリアルト橋のたもとで決意して
今回の旅行中ずっとつけている
ヴェネツィアングラスの
ネックレスを買ったのも同じ日だった。
イタリアではずっと微妙な気分だったけど
ヴェネツィアは一番心も落ち着き
パリみたいに自分に合っている
ようで心が軽やかでいられる。
神様が本当にいるんだったら
もうあんな風に泣くのはやめて
最後の滞在を楽しみたい。