富裕層の行動規範

世の中には色んな人がいるけれど
最近とみに思うのは
世界各国に行ったり住むのが
ごく当然の人たちと
全くそうでない人たちがいて

もちろん欧米の富裕層のお客様は
前者であって、お子さん全員が
母国に住んでいようものなら
大丈夫?どうしたんですか?
と内心思ってしまうほど。

私は欧米の富裕層の方々と接する中で
彼らには「高い」という感覚が
ないのだろうか?と思っていたけど

実際そんなことはないとよくわかり

でも一般人との大きな違いは

一般人は高い!と思ったら
それがブレーキになって止めるけど

富裕層は高くても

その価値があると思ったら
エイっとお金を払うということ。

つまり、彼らも高い!と思ってるわけだけど
大事なのはそれでもやるか、やらないかという
その後の行動の差の積み重ね。

私はもう何年も連続してヴェネツィアに来て
その間沢山の日本人に
あぁヴェネツィアいいなぁ!!
サン・マルコ広場行ってみたい!!
と憧れまじりに言うのを聞いた。

じゃあ何で行かないの?

私にはこれが不思議でならない。

そりゃ行ったほうがいいよ!

高いから?
お金がないから?
時間がないから?
単に優先順位が低いだけ?

私は「憧れている」という人たちが
行かない間にもはや
何度行ったか知れないけれど

いくらお金がかかっても
あぁ本当に来てよかったと
心から思えるし

今日もサン・マルコ広場で演奏を
聴きながら、立ち聞きしてる
人たちは何故カフェに入らないのかと
心底疑問に思ってしまった。

立ち聞きだけして写真を撮る人 もちろんそれも可能だけれど

店の目の前で写真を撮ってる
カップルもいるけれど

私だったら何も構わずサクッと店に
入れてくれる彼氏の方がいい。

サン・マルコ広場のカフェは
確かに高いけど

高いと言っても私が昨日
フィレンツェで食べた
ビフテッカ・フロランティーナは
その2倍の値段だったし
カプリの絶景レストランで食べた
ボンゴレビアンコは
一皿で壮絶高かった。(今年一番高かったランチ)

こういうことしてると
だんだん高いのに慣れてくのかも。

でもね
店に入るのと立ち聞きするのは
得られる経験が違うんだよ!!

人生というのは
ちょっと冷たい海に
意を決してエイっと飛び込む
その繰り返しなんじゃないかと思う。

富裕層というのは多分
その挑戦の繰り返しで
そこらの人よりずっと
レベルが上がった人たちなのだ。

プライベートビーチに来ても
海の水が冷たくて
ひたすら突っ立っている女性は多い。
でもそんな人達を横目に
私はザブーンと飛び込んで

アジア人なのにプカプカと
海に浮かんでいる。

カプリのプライベートビーチ!

サン・マルコ広場のカフェも席について
メニューを見てから高っ!と思って
出ていく人が
続出するけど

私はそこにフツーに座るのだ。
フィレンツェの
イタリア人モデルばっかりみたいな
老舗カフェでもね。

人生って
そういうことの繰り返しなんじゃない?

そのちょっとした境界線で
得られる経験が雲泥の差に違い
それらの積み重ねで人生が変わっていくのにな。

そして本気で人生を
変えたかったら
行くカフェや行く場所を変えるべきなのだ。そしてつきあう人も。

私はたまたまカフェの研究を
してたおかげで、絶世の美女や
ファッションウィークに来ている
壮絶カッコいいイタリア人男性たちを
ものすごい身近で見れてよかった。

ヨーロッパの老舗カフェというのは
帝国ホテルのような存在なのだ。

だからそんな場所で長い時間を過ごしていれば
そりゃ人生も変わるよね。

「天才がカフェに集ったんじゃない
カフェという場が天才をつくったのだ・・・」
場の力って本当にすごい。

カフェから時代は創られる。

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